違うんだ、そういうことじゃなくて
すごく遅くなって今更になってしまったのですが
前の記事にコメントくださったとさんありがとうございます。
キャロットタワーで見ていてくれたみたいで、たぶん紙を渡したのだと思うのだけど
そこからたどって調べてきてくれてしかもコメントまでくれたことに感動しました
全然知らない、歌を聴いて少しだけ話したかもしれないだけの人が自分に向けて文字を打って送ってくれるということに
そのほんの少しの気持ちに感動しました。ほんとうに
だってその一瞬は私のこと思い出してくれてたってことだもんね、それがとても嬉しい。
あの一言で、少しだけ届いたのかもってしばらくがんばれました。ありがとう。
私はとても欲張りなので
もっとたくさんの人がそうなるようなことをしたいし、そうやって知ってほしいと思ってしまっている。
ひとりひとりにそれをしようとしている。それでどうにかしようとしている!
ひーーーー
全然違う話しますね。
最近ずっと思っていたこと、
私には根っこがない。
憧れる人、好きなミュージシャンや歌ってる人やバンドへの気持ちはいつも割とすぐに変わってしまう
一瞬だけ、短い期間だけめちゃくちゃ好きになってその人のことばっかり考えて男の人だったら恋をするように
女の人だったら自分と比べてこんなところがすごいと尊敬するけど
いつの間にか終わっている
ブームなのだ、とても瞬間的な
ミーハーなのだ、簡単に言えば
めちゃくちゃ好きになった人たちは決まって今生きている人で会いに行ける人で
だから必ず会いに行ってしまう気づいたらライブを見に行っている
私みたいなやつの耳に入るくらいだからその時ちょうど話題になり始めた人や流行り出した人、元々すごい人が多くて
つまりはその時ちょうどどうにかがんばろうと、ちゃんとがんばっている人なわけで
その輝きに惹かれてるのかなとか、後付けでまたいいように解釈しようとしてます
実際あまり活動が顕著じゃなくなったら自然とブームが去っていたりする
だから自分はその人のファンだと胸を張って言えなくなる。
その人がどんな状態の時でも離れず見ていたよ、って言えない。
おいしいとこだけ食べてるみたいな。
飽き性なのか。そうか。そうなのか。
一時はめちゃくちゃ狂ったように好きだったけど
でもどれもその熱がずーーーっと続いて自分のルーツや軸になっているという感覚はなくて
だけどその好きで憧れる人たちはみんな
それを取り入れて音楽作りましたっていう人がたくさんいて
その血を引き継いだ人たちの音楽が好きな私はどんなものを引き継いでいるのか
私が好きにはならなかった人たちの血も知らないうちに引き継いで、知らないうちに歌っているのかな
どっちにしろたくさんリスペクトしている人はいるのに薄っぺらいような気がしてそれは自分の全部に共通しているような気がして
たちまち居心地が悪くなります
でも広く言って音楽に対しては揺らいでないなとか、この人は昔から今でもずっと好きだなとかはあるからなんとかなっているけど
なんでしょうね、でもやっぱり私は会わないとだめなんだと思う。
会ったって自分だって大したことできてないけど、その人の今を知ることでしか気持ちを保てないのかもしれない
好きの度合いとか深さとか形とかその時々でどんどん変わっていきながら、でもずっと好き、みたいな
だとしたら私が知っていこうとしないと愛しさだって一向に生まれないですね。
生きてる残り時間の中でどれくらいの人に出会って、どれくらいの深さで知れるかな関われるかな
そんなにたくさんは無理なのですがなるべくちゃんと見ていたいです
眠い、お風呂に入ろう
明日はライブ情報をたくさん発表しようと思っています、お楽しみに!!